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下中島五十九番戸平民農勲七等早川定之助
(さだのすけ)の所有する中島字丸の内の水田四反歩に決定した》(四反歩四十アール=)との電報が県庁に到着しました。
そして県
知事は直ちに斎田決定の「県公報」を出しました。

翌三月七日、愛知県知事は斎田所有者早川定之助・六ツ美村長・碧海郡長の三人を県庁に呼び、早川定之助に対して決定通知書を渡しました。その通知書の中には、「心得(こころえ)」として次のような事柄も書かれていました。

一、斎田の取り扱い、耕作等は県の指示に従うこと。

二、供納するお米は、白米一石(二俵半百五十キログラム)であること。

三、供納する日は、大正三年十月十八日までとすること。

四、供納する場所は、京都の宮内省出張所(京都御所内)であること。

五、その他手続きなどは県の指示を受けること。

天皇一代しかも皇位継承、即位の礼に関して一度だけという大嘗祭の大祭にお供えする米を作るということはたいへん名誉なことで、六ツ美村はもとより碧海郡としても、また愛知県としても光栄に感じ、喜びに満ちたものでありました。

【斎田埴の準備】

斎田地では早速周囲に忌竹(いみたけ不浄災難除けのための葉付きの青竹)をたて、しめ縄を張り巡らしたり、標柱を立てたり、道路を整備したりしました。
また、斎田事務所を建て、
委員を選出し事務を執()ったり、神官をおいて斎田への出入りにはお祓(はら)いをす

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