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を六ツ美在郷軍人会員一九三名が一時間毎に輸番交代で当たりました。
また、斎田灌漑
(かんがい田畑に人工的に水を川や湖から引くこと)用の用水路(高橋用水)も警備が行われ、その範囲は用水水源地(今の高橋町)から斎田地まででした。

規則も、見張り員や参観者を対象に、「唾(つば)や痰(たん)をはいてはいけない」「竹柵に足をかけてはいけない」「用水で泳いではいけない」「怪しい人は近づけてはいけない」「斎田に汚い物を捨ててはいけない」「夜間の警備には提灯(ちょうちん)を持って巡回せよ」などのいくつかの注意事項や遵守(じゅんしゅ=規則を守ること)することが決められていました。

このようにしての斎田地の警備は、四月二十二日より十月七日までの百六十八日間、用水の見張りは四月二十二日より九月六日までの百三十七日間、稲の乾燥と選米場になった六ツ美第三尋常高等小学校(今の六ツ美南部小学校)は九月二十五日より十月十一日までの十六日間、斎場の警備は九月十二日より二十一日までの十日間にして、延べ日数三百四十日ほど、延べ人数二千三百人という大規模な警備をしました。

ほうこうしゃいしょう

【奉耕者の人選と衣装】奉耕者(斎田作業に労働力を提供する奉仕者)

斎田地の奉耕者の人選は、資産・教育・素行・技芸・家庭・経歴・健康などの審査項目を設定し、六ツ美村をはじめ碧海郡内各町村在住の青年会員・処女(しょじょ嫁に行かず家にいる女)会員並びに篤農(とくのう嚢に熱心で、研究心にとんだ農夫)者で信用の厚い人から選ぱれました。その結果、一〇七人(男八十七人、女子二十人)が採用されました。

奉耕者は、各自で作業日を決め、作業当日は、早朝より潔斎所に集まり、身を清め、作業服に着替え、斎田通用門でお祓(はら)いを受けて、誠心誠意作業に従事しました。

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