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一九一五年(大正四年)四月、男子奉耕者は、上は赤色木綿(もめん)の襦袢(じゅばん=下着)に晒の上衣(じょうい=ゆかたに似た上着)を着て、下は晒の短い袴(はかま=和服の上にはき、下半身をおおう、ひだのある筒状の衣服)を着て烏帽子をかぶり、水色の脚絆(きゃはん[すね巻き付ける布)を着用するように決められました。 女子は下げ髪、晒の上衣、緋色(ひいろ"濃く明るい赤色)の短い袴、白色の脚絆を着け、菅笠(すげがさ=管の葉で編んだかぶり笠)をかぶるように決められました。 奉耕者以外にも県の部長.課長・農事試験場職員・碧海郡役所職員などによる斎田委員会と、碧海郡長・六ツ美村長・六ツ美在郷軍人会員・校長・村会議員・青年会員などによる悠紀斎田奉賛会の二つの組織ができて、斎田全体の維持、運営等についての事務的用務を行うこととなりました。 【斎田諸儀式と農作業】 播種(はしゅ)式 四月二十三日、播種(種をまく)の式典が執り行われました。午前五時三十分、奉耕者男十三人、女八人は定められた衣 |
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