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抜穂
(ぬきぼ)
 抜穂式に先立って斎田地西隣の土地で、抜穂式式場の地鎮祭が八月十五日行われました。
祭場は東西約四十メート
ル・南北約三十メートルに新しい土が盛られ、矢作川から運んだ白砂を敷き詰め、四隅に忌竹を立て、しめ縄を張り巡らしました。
中央には斎舎(さいしゃ…神を祭る建物)を、右に神饌舎(しんせんしゃ=お供え物を置く建物)を建て、幄舎を二棟建てました。
式は午前八時より掌典(しょうてん祭事をつかさどる人)★河鰭公篤子爵を始め宮内省の役員や愛知県知事代理をはじめ、碧海郡長・六ツ美村長公職者・青年会員・在郷軍人会員などおよそ四百名が参列しました。

また、抜穂式の重要さと清浄さを示す意味から、古いしきたりの『河原御祓い』(わらおはらい)別称『大祓いの儀』抜穂式の前日に行う事となり、場所として白砂青松(はくしゃせいしょう=白い砂浜が広がり、青い松の木が生い茂っている美しいさま)の景色のよい、矢作川に架かる美矢井橋の上流大聖寺河原(だいしょうじがわら)が選定されました。九月十章後三時より、勅使(ちよくし、天皇のお使い)北郷久政掌典を迎えて行われました。この日の参観者は約三万人と言われています。

※今も記念の石碑が美矢井橋上流の堤防上に立っています。

翌二十日午前十時より『抜穂の儀』式が・北郷久政掌典によって行われました。式場は、東西約三十メートル、南北約二十五メートルの長方形の土地に白砂を敷き、茅葺き(かやぶき茅でふいた屋根)の神殿・神舎・稲實殿(いねのみどの)舎などを建て、(まん上からたらす幕)が張られました。
初秋の風が黄金の稲穂や周囲の忌竹、しめ縄を揺るがせています。北郷掌典の指示により早川定之助は稲實殿に入り、十一丁(ちょう」数の単位)の鎌を雑色(ざっしょく雑役に従事する男性)に渡し、三方(さんぼう神の供え物をのせる四角形の台)を持って斎田に入り、一斉に稲穂を刈りました。
刈った稲穂を北郷掌典が調べ、稲實殿に納めて式が終わりました。

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