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一方、六ツ美村当局においても、一九一九年
(大正八年)十月、悠紀斎田献穀(けんこくお米を供納したこと)の光栄を長く記念するため、役場(現六ツ美支所)の前に洋風の「斎田記念館」を建設しました。
その中には、悠紀斎田で使われたさまざまな農機具や記念物を
陳列しました。
その後、施設の老朽化と役場の移転等によって記念館は解体されまし
たが、今では貴重な民俗資料の保存を考え、一九八七年(昭和六十二年三月)六ツ美支所の隣に「六ツ美民俗資料館」が建設され、その中で陳列・保存されています。
また、
だれでもいつでも自由に見学できるよう、無料で開館されています。

六ツ美地区において、斎田地の保存や「お田植えまつり」は、大嘗祭が済んだ後も、斎田奉耕者やその子孫など関係者や村民有志の努力で、毎年六月上旬に連綿として行われてきました。
しかし、第二次世界大戦中から戦後にかけて一時中断しました。
うした期間、斎田は今の六ツ美南部小学校の教員であった杉山信太郎(故人福桶町出身)学校用実習田として活用し、保存・管理に努めていました。

一九六二年(昭和三十七年)には六ツ美村(後に六ツ美町)は、岡崎市と合併しました。
岡崎市教育委員会においては、長年継続して来た祭事の意義や歴史的伝統行事の伝承の重要性にてらし、一九六六年(昭和四十一年三月十日)に、「お田植えまつり」『田植唄』『踊り』『用具』『装束(しょうぞく11特別の着物、衣装)が、《岡崎市無形民俗文化財》に指定されました。

【悠紀斎田保存会と主基斎田保存会】

前記したように昔をしのび、六ツ美地区全域の住民の理解と協力、努力のもと、悠紀斎田保存会主催による「お田植えまつり」の

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